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8年前、エジプトから海外技術研修員として来日したヌールさんは、ここ出羽庄内国際村で広美さんと出会いました。ヌールさんは現在、鶴岡市桜新町でアラブ料理店を営んでいます。


「明子へ」
これからも僕に
辛抱してついてきてね。

菅井亮さん 飲食店経営
31歳 結婚7年 酒田市在住


 学生時代に東京で出会ってから13年が経つね。結婚して7年、酒田に帰ってきてから6年。月日の流れは速く、お互い気がつけば30代。でも、2人が出会った時のことは、ついこの間のように覚えているよ。
 13年前の1月下旬。
 友だちとの飲み会で、新宿駅東口で待ち合わせしている時に、お互い顔を知らなかったのに、何百人もの待ち人の中からこの人だ! と互いに思えた瞬間は、まさに電撃!! 今でもはっきりと覚えている。歩く人が皆、傘をさしていた雨の日だよね。その後すぐに意気投合して、とても楽しかったのを思い出すね。
 あれから本当にあっという間で、今では可愛い息子と娘に恵まれ、子どもの寝顔を見た時にはなんとも言えない、素晴しい幸福感に包まれる。気がつけば子どもがいつの間にか、歩いて走って、自分と一緒に会話をしていることに最近、本当に吃驚、嬉しいです。こないだ生まれたばかりだと思っていたのにね。明子のおかげかもね、本当にありがとう。
 ずっと思っていたけど、明子には学生時代から心配や苦労、辛い思いばかりさせたと思う。美術学生時代、先に就職した明子に作品創りのための何万ものお金を工面してもらったり。結婚が決まっているのに仕事を辞めた就職氷河期には、心配をよそに半年以上も遊んでいたし。結婚してからはデザインの仕事が忙しく、新婚なのにほとんどすれ違いの生活。家に帰れないことが多かったね。その後、気がつけば酒田でお店をやることになり…。帰ってきて、子どもが生まれてからも、ありがたいことなんだけど仕事が忙しい。かと思えば、休みの日は外で遊んでばかり。子どもたちとのゆっくりとした田舎暮らしなんて夢のまた夢のような話で、ゴメンネ。自分の力がまだまだ足りないみたいです。
 結婚して酒田に来てから、たくさんの不安な時期があったにもかかわらず、辛抱してついて来てくれて、本当にありがとう。最近は少し落ち着いたつもりだけど、まだ気持ちは13年前と変わらないので、たくさん仕事して、たくさん遊ぶつもりです。だからこれからも落ち着くことは無いかもしれない。喧嘩をして、泣かせて、口も聞いてくれなくなって。出会ってからのたくさんの楽しい思い出を忘れさせてしまうくらい波乱なことも多いけれど、これからも今までどおり、辛抱してついてきてください。よろしく頼みます。
 忙しくて、恥ずかしくて、普段は言わなくなってしまっていたけれど、心の中ではいつも感謝しているよ。
そしてこれからも愛し続ける。庄内一のおしどり夫婦と言われるくらい、一緒に頑張って行こう!


東京で写真家として
活躍しているあなたへ。

Y・Sさん 高校教諭
35歳 結婚1年半 酒田市在住


 出会ってからもう10年以上過ぎました。多分、12年つきあって結婚になったね。ずいぶん時間が経ってしまいました。
 その間、一緒の場所にいたのは1年もなく、すぐ遠距離になってしまい、よく続いているなあとみんなから言われることもありました。振り返ってみると、毎日の忙しさや遠い距離と一緒に、気持ちも離れてしまいそうになった時があったような気もします。そんな時、何が俺たちをつないでくれていたのか今考えてみると…、なかなか思いつかない…、話をしていたりすると、なぜか自然に流れが戻っている。不思議です。
 実は、あなたと話をしていると、なんだか心配な気持ちになります。でも、心配な気持ちにもなるけれど、安心感ももらっているような気がします。そして、あなたの写真を撮ったり、作品を作ったりする姿を見ていると、強さももらっています。心配だなんて言うと不安かもしれませんが、俺にとってはそんなに悪くない気持ちなのです。これも不思議なことです。
 これからもお互いの仕事で離れることもあるかもしれないけど、心配で安心で、幸せな気持ちが続けばいいなと思っています。


なにかと不器用な君に
知ってほしい私の思い。

小出沼のキャンドルさん 公務員
34歳 結婚8年 庄内町在住


 君に出会って10年の月日が経ちました。出会った頃の君は、“弱い者にもっとやさしい世界にしたい”そんな夢を持って鶴岡で一人暮らしをはじめた時で、世界の格差や環境の問題を、自分のことのようにひとり背負っていました。しかし、君は何をするにも不器用で危なっかしく、そんな君を守りたいと、いつも傍にいながら心配したものです。
 それから10年。イベントを仕掛けて大変な思いをするのは相変わらずで、当たり前のことになりました。子育て真っ最中の今では、なかなか手を握ることもないけれど、君との暮らしは、月日を重ねるごとに、楽しく愉快になっています。
 私の一番の夢を、君は覚えていますか。私はいつも聞き役に回ってしまう気がするし、君は2人目の育児でそれどころでは無いかもしれない。でも、指輪を贈る時に願った幸せな家庭を、今、私たちが手にしていることに、私は大きな充実感を持っているのです。
 君に一番伝えたいことは、私がとても幸せだということ。だから今のままの君に自信を持ってほしい。これからもよろしくお願いします。


愛するあなたが
いるから、
日本での生活が
とても幸せです。

ヌール・スルタンさん 飲食店経営
37歳 結婚6年 鶴岡市在住


 あなたと初めて出会ったのは、私が山形県海外技術研修員として、エジプトから鶴岡スイムクラブに水泳指導に来ていた8年前のことでしたね。覚えていないと思うけど、出羽庄内国際村で日本語ボランティア講師をしているあなたを見て、「きれいな先生ですね」と声をかけたんですよ。私はあの時からあなたを好きになっていたのです。だから、トライアスロンの練習をして大怪我をした時に、家にお見舞いに来てくれた時はとてもうれしかった。私が「海が見たい」と言ったら連れていってくれて。あの日のことは忘れられない。すごくステキな日でした。
  その後、私たちは何度もデートをしましたね。研修期間が終わりに近づいて、旧松山町の眺海の森でエジプトに帰国しなくてはいけないことを告げた時には、もう会えないかもしれないと、あなたは涙を流してくれました。成田空港まで見送りにも来てくれて、すごくうれしかった。
  当時、私はエジプトで国家公務員としてパラリンピックの水泳指導などをしていたけれど、母国に戻って3ヵ月でそれらの仕事をすべて辞め、再び日本に来ました。あなたが大好きだから。そして、結婚。それから現在まで、あなたは妻として、時には母として、いつも私の傍で、私を助けてくれました。だからこの6年間、ホームシックになることもなく、幸せに暮らせています。神様とあなたのおかげです。ありがとう。
  私があなたの笑顔で一番思い出すのは、結婚の翌年から1年間、筑波大学でスポーツ心臓を研究テーマに学んでいた時のことです。あなたの誕生日の日、つくば市に電車で来てくれたあなたを喜ばせようと、車のトランクの中に、ひまわりの花束と風船をたくさん入れておきました。何も知らないあなたがトランクを開けると、音楽が鳴って、風船が空へと舞い飛ぶ。トランクにひとつ残った風船の中には、プレゼントを入れておいたんですよね。あなたはとてもビックリして、でも喜んでくれて。私もうれしかったです。
  これからも、私とあなたの幸せが、いつまでも平穏に続くことを祈ります。ありがとう。




(スプーン2009年2月号に掲載)
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