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僕は1586年に、戻っていか
なければならないだろうか(油彩) |
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1947年、山形市生まれ。東京理科大学数学科中退。67年、野間伝治氏主宰「新銅版工房」入所。1970年「第1回版画グランプリ」大賞受賞。代表作は、ヨーロッパの伝統的な銅版技法ビュランによる「少年王国」シリーズ。40歳代から油彩画を始め、近年はコラージュ作品も多く手掛ける。2003年、酒田市美術館にて個展開催。07年、鶴岡アートフォーラム特別企画「パレットの記憶―日本近代洋画家たち―」展出品。神奈川県鎌倉市在住。 |
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僕と酒田との関係をつなぐ糸は2つあって、1つは父の転勤で琢成小学校5年生から第三中学校の2年生まで酒田で過ごしたことだ。今は無くなってしまった秋田町に住んでいたが、その社宅は東に中央病院、南と西は上喜元の黒塀、北は銭湯の大きな建物に囲まれ、外に出るには銀行のわき道を抜けるしかない不思議に閉鎖的な場所だった。時々、上喜元の黒塀から顔を出した同級生の佐藤君は元気であろうか。もう1つは、今から6年ほど前、酒田市美術館で銅版画と油彩の個展を開いたことだ。その頃から山形に用事がある度、酒田まで足を運び、寿司を食べることが楽しみになっていた。
その後、東北公益文科大学との縁が生まれ、昨年には小冊子『酒田アート探検記』の編集をしたが、今回のワークショップもその時に使った「コラージュ」という表現形式がテーマだった。
この「コラージュ」という題目。今となっては、とても適切なテーマだったと思っている。というのも、今回僕はこの企画の写真撮影を依頼されていたので、先に行われた3人のワークショップをすべて撮影していた。すると、一見バラバラにみえる彼らの仕事が、20世紀初頭に始まったコラージュの歴史にぴったり当てはまることに気づかされたのである。その理由を今回のまとめとして、僕のワークショップで話したので、ここでも簡単に記したい。
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1. 午前の講義は、コラージュの歴史と先に行なった3人のワークショップとの関連性について。その後、これから行う練習用コラージュ制作について説明した。
2.3. 雑誌を自由に切り抜いて制作開始。
4.5. 完成した作品は、同じ条件での制作だったのにそれぞれに個性あるものとなった。 |
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6. 午後の講義開始。言葉とコラージュの関係を話しながら、本番用のコラージュ制作について説明した。
7.8.9.10. 言葉をクジ引きでランダムに組み合わせて詩を制作。それぞれの詩に沿ったコラージュ作品を作った。作品はその後、12月の成果展用に渡邊さんが体裁を整えた(左写真)。 |
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参加者作品 齋藤有華「母が水平線上で眠りに落ちたとき」 |
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参加者作品 寒河江愛「わたしは花籠と、とても暑い砂漠で踊った」 |
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参加者作品 大矢貴之「わたしは悪事と青空でダンスする」 |
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コラージュとは、印刷物をハサミで切り取り、それを貼り合わせて作品をつくる表現方法のことだ。1910年頃にピカソとブラックが作ったのが始まりで、これを哲学的な言葉に置き換えると「切断と接合の芸術」である。それが、第1回目の加藤到氏のワークショップでは、街の映像を切り取って繋ぎ直すという「映像コラージュ」へと進み、2回目の太田三郎氏による漂着物の商品化では、切断の行為の放棄から新しく生み出された「ブリコラージュ」へと発展する。3回目の佐藤時啓氏になると、酒田の街をカメラオブスキュラで切り取るという「多重露光」という行為に至るわけで、この3人の行なったワークショップの道筋は、まさにコラージュ100年の歴史そのものであったのだ。そのことを僕は、自分のワークショップで参加者に伝えることが一つの大きなテーマだった。
実際にワークショップでは、「アートとはある意味、言葉そのものである」という観点で、2つのコラージュ作品を作ってもらうことにした。その説明を、2つの作業の合間にしようと考えていたが、参加者の皆さんが午前中に作ったコラージュ作品があまりにも自由で面白かったので、アートの歴史や概念など殊更いわないでもよいと思った。そこで、コラージュが実は記憶の掘り返しであるとの簡単な説明に話を変え、午後の作業に入った。2度目に試みたのは、言葉遊びによって生まれた詩と、コラージュ作品との偶然な出会いという詩画集制作だ。その時に手掛けた作品を、昨年12月、さかた街なかキャンパスで実際に展示したのだが、今の若者のセンスが素直に出た、とても面白いものにできあがったと思っている。
実をいうと、ワークショップの講師を引き受けたことに対して、半田結さんにうまく騙されてしまったという思いを持っている。だがこうして改めて振り返ると、騙されたとはちょっと違うのであろう。今年も近々、同講師陣4名による「アートでまちを再発見・パート2」が始まる。次はどんな発見が待ち構えているか楽しみだ。
渡邊榮一=文
text by Watanabe Eiichi |