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兒玉家のお雛さま 酒田市中町
杉下花、佐藤晶子=取材・文
text by Sugishita Hana,Satoh Akiko
40年ぶりに、お雛さまを全部出してみました。
先祖が残してくれたものをこうやって飾ってみると、
その心から、力をいただいているように感じます。


享保雛(江戸後期・京都製)
 酒田市の児玉佛壇店・中町店では、一昨年から、兒玉家のお雛さまを一般公開しています。正面の雛段には、享保雛1対、3人官女、5人囃子と左右大臣が2対、超大型の犬筥や雛道具などが並び、左手の雛段には、享保雛6対のほか、小さな芥子雛や抱き人形、右手には趣向人形などが飾られていて、見事です。どんな方が、どのような思いで集め、飾っていらしたのでしょう。ご当主の兒玉高周さんとご子息の高幸さんにお話を伺いました。
「名古屋で修行をしていた息子が酒田に帰ってくるというので、思い立って、一昨年に飾りました。うちに先祖が集めたお雛さまがあることは知っていましたが、こうして、全部飾ったのを見たのは、40年ぶりです」。

兒玉家の五人囃子(昭和35年頃撮影)
昨年、児玉仏壇店・中町店に飾られたお雛さまを拝見に伺った時、藤田順子さんが特に注目なさったのが、この五人囃子。実に表情豊かな逸品です。

  児玉佛壇店は、高周さんで3代目。初代の正治郎さんは、明治末年に酒田商業高校を卒業すると、中町で古美術商を開業しました。2代目の高明さんは、大正14年生まれ。やはり酒田商業を卒業すると、父の仕事を手伝うようになりました。「お雛さまを最初に集めたのは、初代だと思います。父もお雛さまがとても好きでした。酒田大火前は、中町の天神さまの下に店舗と住まいがありました。そこの10畳間に、父がうちのお雛さまを全部飾ったのを見たのは、私が物心ついてからはたった1回で、中学生の時でした」。

  高周さんは、「父が仙台の大学病院に入院していた時、3歳の息子にあてて書いたのを家内が大事にとっていましたから」と言って、古いハガキをいくつか見せてくださいました。昭和59年3月4日の日付のハガキには、「きのう、おひなさまのひなまつりをおかあさんからしていただきましたか。おじいちゃんがかえったら、たかゆきくんのおうちのひなにんぎょうをだしてみせますからね。さかたでいちばんよいひなにんじょうですよ」とあり、たった一人の孫である高幸さんへの愛情とお雛さまへ思いが伝わってきます。

先代も先々代も、お雛さまは、家族と一緒だという気持ちだったんでしょうね。

兒玉家の雛段飾り
  高明さんは、まもなく手術を受けましたが、その年の6月に亡くなられ、その後、20年あまりの歳月が過ぎました。「大火のため、自分が積み重ねてきた60年の歩みを、一夜にして焼失した哀しみを抱きながら、復興に全力を傾注していた時、はからずも病床についてしまった無念さの中で、父が唯一、希望を見出したのが、お雛さまを飾ることだったのではないか、と思います。それは、自身が元気になって酒田に帰ってくることでもあったわけですから。父は、古いお道具が、人の心を和ませ、穏やかにし、いつしか心の塵を洗い流してくれることをよく知っている人でした」と高周さんは静かな口調で語ります。

雛段には、御所人形や趣向人形もにぎやかに並ぶ。

  内裏雛の一つには、箱裏に正治郎さんの筆で、太平洋戦争中の昭和20年6月28日、酒田空襲のためお雛さまを、土崎村(現在の酒田市土崎)の白旗家に疎開させた旨が記されています。「お雛さまは家族と一緒だという気持ちだったんでしょうね」と高周さん。昭和51年の酒田大火の時は、店舗改装のため、東町の倉庫に移し てあったため、お雛さまは難を逃れました。「大火後、今日まで無我夢中で過ごしてきましたが、先祖が残して くれたものを、こうやって出してみると、力をいただいているように感じます。職業柄、お彼岸の時期は忙しいものですから、『酒田雛街道』には参加していませんが、お客様に楽しんで見ていただけたら、何よりです」。

  昨年、お父さんと一緒にお雛さまを飾った高幸さんは、「祖父が残してくれたものには、雛道具だけでなく、本物の貝合わせもあり、去年は、父と一緒に絵柄合わせをして、楽しみました」と笑顔を見せます。「お雛さまは、飾るのも、しまうのも大変な仕事ですが、春が来たんだな、という季節感がありますね。今年も息子と一緒に飾ろうと思っています」。

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享保雛
きょうほうびな
江戸中期、享保(1716〜1736)頃、流行したといわれる雛。この名称は明治時代につけられたもので、明治になっても製作・販売されていた。享保雛は、豪華でおもおもしい様子と、能面のように静かで神秘的な表情が絡み合って、堂々とした気品に満ちている。町家などで多く飾られ、大型のものが多い。
藤田順子著『雛の庄内二都物語 酒田と鶴岡のお雛さま拝見』SPOONの本

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