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阿部さんが派遣された農場は、300人がひとつの家族のように暮らす市営農場。農場内には、子どもが通う学校もありました。この農場にもその後、生産請負制が導入され、現在は姿を変えたそうです。



広大な大地とひろがる空。
古代文明の足跡が、大国に息づく
悠久の歴史を感じさせます。


 
  万里の長城(世界遺産)
ユーラシア大陸の東部、太平洋の西岸にある共和国。首都は北京市。総面積957万1300km2(日本のおよそ26倍)、人口13億2185万1900人(2007年推計・日本のおよそ10倍)という世界第1位の人口と広大な国土をもちます。国内では、50以上の民族が独自の言語で生活しているので、北京語が公用語として使用されています。1949年以後、毛沢東政権による大規模な共産化で、国内が混乱に陥ったこともありましたが、トウ小平政権が始まった1978年からは社会主義市場経済に移行し、特に1992年からは一気に経済成長を遂げました。阿部さんが派遣された天津市は、北京の玄関口として知られる港湾都市です。


 
 
一度しかない人生だから、
本当にやりたいことをしたい。
それが梨屋と協力隊でした。
派遣先 >>> 中華人民共和国
阿部喜至夫さん Abe Kishio 酒田市在住・果樹農家諭

現在、八幡地区で阿部梨園を営む阿部喜至夫さんは、27歳の時に、山形県職員を退職して青年海外協力隊に参加しました。派遣先は中国の天津市です。

 旧八幡町在住の阿部喜至夫さんが、初めて青年海外協力隊のことを知ったのは小学生の時、学校の授業ででした。「日本と環境がまったく違う遠い国で、日本人が現地の人と触れ合いながらボランティア活動するという話は、それからずっと頭に残っていました。子どもながらにいい話だと思ったんでしょうね」。
  その後、ご実家の梨園を継ぐために、山形大学農学部の園芸学科果樹研究室に入学します。卒業後はすぐに家業をと考えていましたが、大学で学んだことを一度社会に還元した方がいいと研究室の先生に勧められ、山形県職員を受験。鶴岡農業改良普及所に配属されました。

  転機が訪れたのは、農業改良普及員としての専門分野が果樹に定まった2年目、職場の先輩に誘われて、出羽庄内国際村の英会話教室に通い始めてからです。「それまで海外生活に憧れてはいましたが、英語コンプレックスが強い自分には無理と思っていました。でも、国際村で外国人と接するうちに、大丈夫かなと思えるようになったんです」。平成3年、協力隊を受験する決意をして、県職員を退職。活動職種は農林水産部門の果樹です。「庄内の果樹農家をまわって技術指導するという仕事をしていたので、技術には自信がありました。それに一回しか生きられない人生なら、面白いことをしたいじゃないですか。私にとってはそれが協力隊だったんです」。

  合格後、東京で約3ヶ月間の派遣前研修を行い、さらに北京で1ヶ月間の研修を重ね、翌年1月、派遣先の天津市に到着します。

  天津市は、華北エリアにある港湾都市で、北京や上海などと並ぶ中央直轄市です。寒暖の差が激しく、冬は氷点下になることも。雨量が少ないため、お米ではなく小麦を使った蒸しパンなどが主食です。阿部さんは、郊外の市営農場に配属されました。「規模としては小さい農場だったんですが、そこで300人ほどの老若男女が共同生活をしていて、子どもが通う学校もありました。でも一番近い市場まで10キロもあるんです」。当時、中国の農業は、各農家の出来高によって利益の分配が決まる生産請負制が広まる一方で、出来高に関係なく、農場内に暮らす人々に平等に利益を分配する旧体制も残されていました。配属先の農場もその一つ。「あの当時の農場の人たちは、生活の心配がないから、そんなに働かなくてもよいわけです。だから日中、畑でトランプしたり遊んだりしているんですよ(笑)」。

阿部さんが中国にいた3年間は、ちょうど中国経済が著しく発展しはじめる過渡期。農場の人たちと居住空間を共にしながら、果樹栽培に励みました。

  阿部さんは農場の宿舎に寝泊りし、リンゴの樹の人工授粉や防鳥対策などの技術を伝えながら、農場の人たちと一緒に果樹栽培を行いました。居住空間が同じため、同僚家族に夕食を誘われたり、結婚式に参列したりと、自然に周囲との交流も深まります。「中国の人たちと接する時に一番気をつけたのは、昔の戦争についてです。東北部に近くなるほど当時の痛ましい記憶が残る人が多くいますから。でも、私自身はとても仲良くしてもらいましたよ。2年間の期限が終わる時に、まだリンゴの花が咲いていないからという理由で農場から延長希望の声があがった時は、うれしかったですね」。

  活動を1年間延長し、平成7年に帰国。阿部さんはすぐに家業の梨園経営に本腰を入れます。一方で、帰国の翌年から地元の高校で中国語の非常勤講師を始めたり、中国から庄内に嫁いだ人に日本語を教えるなど、両国を結ぶ橋渡しの活動にも力を注いできました。「海外生活の夢を叶えてくれたのは協力隊です。本業との両立は厳しいですが、できる範囲でその恩返しをしたいですね」。青年海外協力隊の活動から生まれた相互理解や感謝の気持ちが、お互いの国だけでなく、地球全体を大きく包んでくれることを祈ります。

(スプーン2007年10月号に掲載)

長谷川結=取材・文
text by Hasegawa Yu
 
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