── 森須滋郎さんは、鎌倉書房の「マダム」の編集長を経て、「四季の味」の初代編集長を務められた方ですね。家では、どんなお父様だったのですか。
私が一人っ子だったこともあって、どこにでも連れて行ってもらって、父娘っていうより、遊び仲間的な感じで育てられました。行儀作法とかうるさいことは一切言わない人で、おかげさまで野放図に育ってしまいましたけど。
わが家は、私が幼稚園に入る前からずっと鎌倉です。父は、自分が食べるものは自分で作らないと気がすまないところがあって、家では父が3食ご飯を作っていました。ごく普通の家庭料理です。父は肉が好きでした。魚も好きで、なじみの魚屋に鯛が1尾入ると、半分はうちに、半分は小島政二郎さんのお宅に届けていたらしいです。
父は和歌山で育ちましたから、関西風の薄味です。とりわけ味噌汁を大切にしていました。ダシは昆布と鰹節。鰹節は、築地の秋山商店から血合い抜きの削り節を買ってきて、冷凍庫に保存し、そのつどひいていました。サバを炊いたり、アジをフライにしたり。シバエビのフライも好きでした。ひと皿に山盛りにして、マヨネーズソースで食べると、すごくおいしかったです。
父は何につけても好奇心が旺盛な人で、旧制姫路高校時代に、洋服を全部ばらして、各パーツに展開してから、縫い直して研究したそうです。自分のシャツは自分で縫っていましたし、私の学校の制服まで作ってもらいました。家じゅうの靴をぴかぴかに磨いて。私は自動的にアイロンのきれいにかかった制服を着て、ぴかぴかに磨いた靴を履いて出かければよかったんです。それが当たり前だと思っていたんですが、少し大きくなってから「ちょっと違うぞ。どうもうちはおかしいみたいだ」というのがわかりましたけどね(笑)。
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