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 Home > スプーンインタビュー 175「八巻元子さん(料理季刊誌「四季の味」編集長 )」
 
 

やまき・もとこ
1944年、和歌山県に生まれる。48年、神奈川県鎌倉市に転居。私立聖ミカエル学園小学校、中学校を経て、同高等学校卒業。66年、関東学院大学経済学部経済学科を中退後、結婚して、5人の子宝に恵まれる。97年、料理雑誌「四季の味」のスタッフとなる。2002年、同誌編集長に就任。父は「四季の味」の初代編集長、故森須滋郎氏。鎌倉市在住。孫が4人いる。昨年7月に刊行された『奇蹟のテーブル』に「食のコールデントライアングル」を寄稿。
 

料理季刊誌「四季の味」編集長 ◎ Yamaki Motoko

八巻元子さん

自分の子どもに何を残せるかと考えた時、
「味しかない」という結論に導かれました。


八巻元子さんは、料理季刊誌「四季の味」の編集長。八巻さんの発案で「アル・ケッチァーノ」の奥田政行シェフが同誌に連載を続けています。また、八巻さんのお父様、森須滋郎さんは、「四季の味」の初代編集長。名随筆家としても知られ、いちはやく酒田の「ル・ポットフー」を全国に紹介されています。父娘2代にわたって、庄内の食との温かいご縁が生まれました。
昨年3月17日、庄内総合支庁の主催により、「食の都庄内」づくりシンポジウム「イタリアと庄内から考える”食“のあるべき姿」が三川町・いろり火の里「なの花ホール」で開かれました。
シンポジウムに出席するため、庄内を訪れた八巻さんに、終了後、会場内でインタビュー。
お父様から受け継いだ食と編集のスピリットについて、楽しくお話を聞かせていただきました。

料理と食文化を追求する料理季刊誌「四季の味」は、2005年に再刊10周年を迎えました。写真は、12月7日に発売された最新刊の「四季の味」冬号・NO.51。
現在は、ニューサイエンス社から発行されています。




── 森須滋郎さんは、鎌倉書房の「マダム」の編集長を経て、「四季の味」の初代編集長を務められた方ですね。家では、どんなお父様だったのですか。

  私が一人っ子だったこともあって、どこにでも連れて行ってもらって、父娘っていうより、遊び仲間的な感じで育てられました。行儀作法とかうるさいことは一切言わない人で、おかげさまで野放図に育ってしまいましたけど。
  わが家は、私が幼稚園に入る前からずっと鎌倉です。父は、自分が食べるものは自分で作らないと気がすまないところがあって、家では父が3食ご飯を作っていました。ごく普通の家庭料理です。父は肉が好きでした。魚も好きで、なじみの魚屋に鯛が1尾入ると、半分はうちに、半分は小島政二郎さんのお宅に届けていたらしいです。
 父は和歌山で育ちましたから、関西風の薄味です。とりわけ味噌汁を大切にしていました。ダシは昆布と鰹節。鰹節は、築地の秋山商店から血合い抜きの削り節を買ってきて、冷凍庫に保存し、そのつどひいていました。サバを炊いたり、アジをフライにしたり。シバエビのフライも好きでした。ひと皿に山盛りにして、マヨネーズソースで食べると、すごくおいしかったです。
 父は何につけても好奇心が旺盛な人で、旧制姫路高校時代に、洋服を全部ばらして、各パーツに展開してから、縫い直して研究したそうです。自分のシャツは自分で縫っていましたし、私の学校の制服まで作ってもらいました。家じゅうの靴をぴかぴかに磨いて。私は自動的にアイロンのきれいにかかった制服を着て、ぴかぴかに磨いた靴を履いて出かければよかったんです。それが当たり前だと思っていたんですが、少し大きくなってから「ちょっと違うぞ。どうもうちはおかしいみたいだ」というのがわかりましたけどね(笑)。


── 編集者としての森須滋郎さんのキャリアについて聞かせていただけますか。

 父は、終戦直後にファッション誌の編集をやっていました。鎌倉書房の社長の長谷川さんが、家の近くに住んでいて、そこのお嬢さんと私は学校が同じだったので、母親同士が仲良くなって、父親同士も話をするようになり、「マダム」の編集を手伝ってくれないかと声をかけられたそうです。10年間、編集長を務めました。当時、「マダム」のムックとして、「四季の味」というレシピ中心の雑誌を季刊で出していました。父は食の世界で仕事をやりたかったようで、昭和50年、「四季の味」の編集長になり、内容を一新しました。自分の好きなことだけを取り上げたのでしょう。父が意気に感じたり、感動したりするものには共通項がありました。「粋」であることを最上とし、露骨だったり、衒いがあったりするのは野暮であるという価値観でした。そこには、大正の生まれで、昭和初期のよき時代を東大生として青春を大いに謳歌した人の美学みたいなものがあって、それはとても誰にも真似できません。


── 八巻さんご自身は、編集の仕事をしたいという気持ちがあったのですか。

 漠然とマスコミ関係で仕事をしたいとは思っていましたけど。4年制の大学に進学したんですが、2年を修了したところで中退して、結婚しました。
主人とは大学で知り合いました。代々鎌倉の庄屋だったという旧家の長男で、結婚したのが昭和42年です。
  主人は平成8年2月に肺ガンで亡くなり、前年の11月に父も亡くなりました。私には、自分にできることって何だろうという疑問が、つねにつきまとっていました。もっと自分の足もとを大切にしなければいけないな、と思い始めた頃に、父をなくし、主人をなくしたんです。その後まもなく「四季の味」の仕事を始めることになったのですから、必然だったのでしょうね。「四季の味」は、父が現在のスタイルを作り、その後、2人の女性編集長を経ていますが、父の時にスタッフだった方が編集長就任の要請を受けた時、条件として、私を編集室のスタッフとして迎え入れてほしいとおっしゃったそうです。単なる主婦だった私は、怖いもの知らずで参加しました。あとでえらいことをしてしまったと思いましたけど(笑)。スタッフとして5年仕事をしてから、編集長になりました。



2007年3月17日に開催された「食の都庄内」づくりシンポジウムでは、八巻元子さんのイントロダクションを受け、イタリア・ピエモンテ州の農家民宿「ルペストル」のオーナーで、アグリツーリズモに取り組むジョルジョ・チリオさん、「レストラン欅」の総料理長・太田政宏さん、「アル・ケッチァーノ」のオーナーシェフ・奥田政行さんから活動報告が行われました。

「四季の味」の最近のバックナンバーより。
毎号の表紙は、飯田勇雄さんが撮影。
右の見開きページは、奥田政行シェフの文による連載「庄内ごっつぉ伝」。庄内の産物を毎号ひとつずつ取り上げて、シェフの思いや料理のしかたなどを紹介しています。


 

『四季の味』は年4回発行の季刊誌で、家庭でおいしい料理を作るために──というのがコンセプト。これは30数年前の創刊の時からすこしも変わらない。おいしい料理を作るためには、プロの味を知ることはもちろん、食材や食文化に関する知識も多少は必要となるだろう。そのために役立つ誌面作りに徹底することが編集の基本姿勢。といっても、使い捨ての情報を提供するつもりは毛頭ない。それは空しいばかりではなく、食の基盤を危うくすることにしかならないと考えるからである。
八巻元子・文「食のゴールデントライアングル」
──『奇蹟のテーブル』(2006年・「奇蹟のテーブル」刊行委員会)141ページより転載



── 八巻さんの編集方針と、庄内とのご縁について聞かせていただけますか。

 最初にテーマありきじゃなくて、行って発見したものを大切にしています。人に会うと必ず何か教えられるし、ご縁って広がっていく。結局、自分の感覚を信じることなんですよね。
  奥田シェフとのご縁も、まさにそれでした。大阪の放送作家、鶴田純也さんが「四季の味」にコラム「おやつの時間」を長年、連載してくださっていて、奥田さんのリモーネというクッキーを取り上げたんです。食べてみたら、ものすごく気持ちがこもった味がしたんですね。それで、取り寄せてみようと思って電話したら、たまたま奥田シェフが出て、今の日本の食のあり方への疑問などを話したら、すごく共感してくれました。それで、「味の巡歴」で「アル・ケッチァーノ」を7ページにわたって紹介しました。さらに、毎回1つの食材を取り上げて、それを取り巻く環境や奥田シェフの思い、料理のしかたといったことを連載しましょう、ということになったんです。
  庄内では、地域の生産者、料理人、消費者の三者が、バランスのよい三角形を描いていて、まさに食文化のゴールデントライアングルだと思います。私は、庄内の問題は日本の問題だととらえています。奥田さんの連載を読んで、「よしがんばろう」と思ってくれる人が一人でもいてくれればうれしいし、日本のどこかに庄内みたいなところが絶対あると思うから、そこに波及していけば、という思いもあります。庄内って、会う人が温かいし、目が違うなと思うんです。自分がしていることに誇りを持っている人って、顔が違うじゃないですか。そういう人がいっぱいいるところだと思いましたね。
  父は昭和53年、「四季の味」で「ル・ポットフー」を紹介しています。丸谷才一さんから「酒田においしいレストランがある」という話は聞いていました。カメラマンの飯田と秋田から新潟に向かう途中、お昼どきに酒田に入り、ガソリンスタンドで給油した時、ふと思いついて、スタンドの人に場所を聞いて、行って食べてみたらびっくりして、急きょ、「帰りに撮りましょう」ということになったようです。
  父が「味の巡歴」に書いた「感激!庄内のフランス料理」を読むと、庄内の食材に注目したというよりも、佐藤久一さんという人の有りように感動したんだと思うし、太田政宏シェフの料理に注目したんだと思います。鶴田純也さんが奥田シェフのことを、佐藤久一さんの後継者だと書いていましたが、すごく因縁みたいなものを感じますね。
  先日、イタリアのピエモンテに行った時も、ジョルジョの家庭料理に魅力を感じました。私自身はグルメではなくて、単なる食いしん坊に過ぎません。ずっと手抜き主婦でやってきましたが、自分の子どもに何を残せるかと考えると、味しかないなと思うんです。父が手を抜かずに作った料理を食べてきた記憶は残っていますから、それはどこかで出ているのかなあと思いますけど。
  父がすごく大事にしていたのは独自性でした。私は、私なりのものの見方や感じ方を大事にしていくしかありません。私の強みは何かといったら、子どもを5人育てて、孫が4人いることです。女性としての立場で、母親として、祖母として、見える世界ってありますよね。その視点を大事にしながら、ともかく今を、自分に正直に生きていくしかない、と思っています。

(スプーン2008年1月号に掲載)  

佐藤晶子=取材・文
text by Satoh Akiko
和島諭=写真
photograph by Wajima Satoru
取材・撮影協力=山形県庄内総合支庁

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