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 Home > バックナンバー > 「庄内庭園探訪」 > 本間美術館の鶴舞園を訪ねて


月刊「SPOON」2004年3月号掲載

本間美術館本館「清遠閣」は、大正末年、昭和天皇が摂政宮として、酒田を行啓された折に現在の姿に改築されました。その庭園「鶴舞園」は、本間家四代光道の時代に作庭されたもの。中島の松に鶴が舞い降りたことから、庄内藩主十代酒井忠器公が名づけたという名園を、錦繍に彩られた晩秋の一日、訪れて、このシリーズ最後の散策を楽しみました。

:::::  その12 :::::
酒田市


広大な敷地のそこここに
さまざまな逸話を秘めた鶴舞園は、
日本の美意識が凝縮された
日本有数の名園である。

 「本間さまにはおよびもないがせめてなりたや殿様に」と歌われた酒田の本間家は、全国でも有数の豪商である。代々に伝わる地域への貢献は、現在の十代当主、本間真子(ますこ)さんにも受け継がれている。
  本間家発展の基礎を築いた三代本間光丘(みつおか)(1732〜1801)は、初代原光(もとみつ)以来の悲願であった西浜の植林事業を成功させたほか、町の防火対策、貧しい人たちの救民対策や教育事業などの公益事業をおこない、酒田の発展に努めた功績は計り知れない。また、困窮した庄内藩の財政を救うため、藩主酒井忠徳(ただあり)公の求めにより、資金調達と財政再建策にも大きな役割を果たした。こうした功績により、光丘は、商人の身分でありながら、知行を与えられ、家中に列し、名字帯刀を許されている。
  四代光道(こうどう)は、文化10年(1813)、浜畑に本間家別荘と庭園を建造、造園した。これは、船荷の積み降ろしなどを手伝う人夫、丁持(ちょうもち)の冬期間失業対策としての取り組みでもあった。北前船での往来が栄えた当時、本間家では、六ぱいの北前船を有していたといわれ、それに係わる丁持を常雇(じょうやと)いにしていたのである。
  庭園には、佐渡の赤玉石や伊予の青石、鞍馬(くらま)石など、諸国の名石が多く見られる。これらは、酒田から米を積んで出港した帰り船で運ばれてきたものである。船の安定を保つため船底に積んだもので、綿積石(わたつみいし)とも、海難を避ける海神石ともいわれた。
冬、この石を港から千人引きという大きな橇(そり)に乗せて、雪の上を運んだ。
  こうして造られた本間家別荘「清遠閣(せいえんかく)」、庭園「鶴舞園(かくぶえん)」は、庄内藩主十代酒井忠器(ただかた)公の命名。出羽富士と称される鳥海山を主座敷の借景とした別荘は、まさに楼閣の趣である。
  池泉回遊式庭園「鶴舞園」は、池の中央にある蓬莱(ほうらい)の中島の松に鶴が舞い降りたことから、この名がある。この島には春日灯篭が据えられ、太鼓橋と稲妻掛けの八ツ橋が回路へとつないでいる。作者は不明であるが、光道が師事した俳人、常世田長翠(とこよだちょうすい)が作庭家でもあることから、この影響を受けているものと思われる。
  回路が長く、随所に意匠が凝らされたこの庭園は、どの位置からも池泉を臨むことができるすり鉢状の地形を成している。茶人、村田珠光(じゅこう)の言葉に「月も雲まのなきはいやにて候」がある。全貌を見せるのではなく、あえて見えない部分を設定することで、想像をかきたてる「見えがくれ」の思想であろう。石の間から木の間から覗く「見えがくれ」の変化を堪能する。
  針葉樹に囲まれた庭の面を構成するのは、連山に仕立てている大刈り込みの躑躅(つつじ)や、サツキなどの植栽である。そのほか、モッコク、モチの
木、真柏、藪コウジ。秋の躑躅、ドウダンツツジの赤は、結び燈台を思わせる。道々で出会う花もまた愛しい。黄色の可憐な花をつけたツワ蕗(ぶき)。赤紫の実を見せる、アケビの仲間、ムベ。
  もう初冬だというのに、護岸に一群れの杜若(かきつばた)が咲いていた。雪のある時期を除いて、1年を通して咲いているのだと聞いた。本間家の長女、万紀子さんは、この紫の花を見ると、祖先であり、其山(きざん)の号をもつ俳人でもあった三代光丘が詠んだ句「かきつばた水へも影を分けてさく」を思い起こすのだという。「自身の喜びを他へ分け与えるという優しさが滲んでいる歌で、光丘さんのお人柄がよく出ています」。
  万紀子さんがお子さんと一緒に「お月見」をするという石がある。月山五葉松(ごようまつ)に縁取られた月見石。ここから観る月を「お月さんがわらってる」と言って眺めるという。
  この日の探訪で、先導していただだいた株式会社佐藤造園会長、佐藤和三郎さんが「石の根ばり」ということを教えてくれた。石に安定感を持たせるには、石が地中に根をはっているように見せなければならない。このため、根が切れないように深く埋める。「石の根入れ」ともいわれ
る。このバランスをとるのは、庭師の力量ということになるのだろう。
  庭園の池泉は、東方にある枯滝からはじまっている。2メートルにも及ぶ立石を滝石に見立てた枯滝石組は、「山落とし」という技法によるもの。勇壮かつ流麗である。この枯滝から石橋を出た流れは雪見灯篭の前に来る。ここには、沢飛び石が打たれ、景を深めている。
  こうした景色を眺望する四阿(あずまや)は、京都の北山杉を使った、寄せ棟造り杉皮小羽葺き。腰掛けには、欅の一枚板に網代の彫刻が施されている。座布団が敷いてあるような座り心地である。
  酒田における茶道は、文政2年(1819)、玉川遠州流四代、大森宗震が伝えたとされる。五代光暉(こうき)、六代光美(こうび)が茶道を嗜んだことが、普及の契機となった。庭園の茶室「六明廬(ろくめいろ)」。ここには、にじり口や下地窓(したじまど)など、6つの明かり取りがあることから、この名がある。自然の傾斜を活かした茶室の庭、露地。世俗の塵を払うこの空間は、山家の風情を感じさせる。自然石の蹲(つくばい)と端正な「春日型金山灯篭」、枝折戸(しおりど)に立つ「西の屋灯篭」「六方石」が客人を迎える。
  これら多様に構成された情緒深いこの庭園、酒田では「本間美術館の庭」と親しまれてきた。本間美術館は、昭和22年(1947)五月、多くの人々の協力と期待を受けて、戦後初の私設美術館として開館した。終戦から2年、人々は混乱と貧困から必死に立ち上がろうとしていた頃である。その後、昭和43年、新館が開館。本間家ゆかりの美術品や、近代美術を中心に斬新な企画展で、地方文化の育成と発展を担ってきたのである。
  昭和23年、ヘレン・ケラーが来日。酒田市立琢成小学校で開催された「全国盲人大会」出席のため、酒田を訪れた。その折、ヘレンは、本間家の家族との会見を強く望んだという。それは、本間家が代々、低利の「座頭貸(ざとうが)し」や点字本の購入をはじめ、障害を持つ人たちの救済事業や育英事業に取り組み、彼らを篤く保護してきたことを知っていたからである。「清遠閣」の正門前には、その時植えられた記念のヒマラヤ杉が立っている。遠来の客を清遠閣に迎え、代々伝わる美術品でもてなした温かさに、心からの感謝の意を表した礼状が今も本間家に伝えられている。
  広大な敷地のそこここに、さまざまな逸話を秘めた「鶴舞園」。本間美術館の庭園は、日本の美意識が凝縮された日本有数の名園である。残念ながら、私には、今の力量の分しか観ることができない。またいつか訪ねる時、新たに観えてくる表情があるのかもしれない。
護岸に一群れの杜若。その紫の花は、三代光丘が詠った
「かきつばた水へも影を分けてさく」を思い起こさせる。
 
財団法人 本間美術館

酒田市御成町17-7
Tel.0234-24-4311
開館時間
4〜10月は9:00〜17:00
11〜3月は9:00〜16:30
休館日
年末年始、展示替えなどによる臨時休館のほか、12〜2月は月曜(祝日の場合は翌日)休館。

 本間美術館の本館と庭園は、本間家四代光道が文化10年(1813)、荘内藩主酒井氏を領内巡視の折、迎えるため築造した別荘。北前船の出入りが途絶える冬期間、丁持たちの失業対策事業として、砂俵を集めて山を築き、石材を橇で運ばせたといいます。鳥海山を借景にした庭園「鶴舞園」は、北前船で運ばれた諸国の銘石、珍石や小豆島の御影石の大小の灯籠が、時を経た松や檜の木立の風情を引き立てています。
 本館「清遠園」は、明治以来、酒田の迎賓館として多くの貴賓、名士を迎えてきました。中でも、大正14年の東宮殿下(昭和天皇)の宿泊を栄誉な歴史として今に伝えています。手漉きガラス窓や御座所のシャンデリアなどに大正ロマンが偲ばれます。京風の精緻な造りの茶室「六明廬」もあります。
 
高橋まゆみ=取材・文 斉藤貴子、板垣洋介=写真
取材協力=(財)本間美術館


■「庄内庭園探訪」バックナンバー


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