月刊「SPOON」2003年11月号掲載 |
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平成6年10月、酒田市飯森山地区に開館した生涯学習施設「出羽遊心館」は、400坪の建物と4,500坪の回遊式庭園を有する数奇屋造りの典雅な和風建築。最上川をイメージした流れが周囲をめぐり、四季折々の花が優しく出迎えてくれます。
竹林の緑がみずみずしい9月初旬の昼下がり、出羽遊心館の散策を楽しみました。 |
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最上川をイメージした流れは、
茶室側が源流の滝、
ホール濡れ縁を河口とし、
日本海に注ぐ風景をなしている。 |
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酒田市の南、松林に覆われた飯森山。酒田の人々は、ここを最上川北岸の「当(とう)酒田」に対して、「向こう酒田」と呼んでいる。かつて、奥州・藤原氏滅亡の時、藤原秀衝(ひでひら)の側室とも、妹ともいわれる「徳の前(とくのまえ)」が、三十六人の武士と共に落ちのびて来た。尼になった「徳の前」は、この地に「泉流庵(せんりゅうあん)」という庵(いおり)を結び、90歳で亡くなるまで、藤原一門の冥福を祈って静かに暮らしたという。
住み着いた武士たちは、三十六人衆を組織して回船問屋を営み、「西の堺、東の酒田」といわれるほど、酒田発展の基礎を築いたのである。井原西鶴の『日本永代蔵(にっぽんえいたいぐら)』に、「北国一番の米の買い入れ、惣左衛門という名をしらざるはなし」と登場するのは、この中の筆頭「鐙屋(あぶみや)」のことである。
酒田開闢(かいびゃく)の地とされる、この飯森山山麓は、近年、酒田市の文化ゾーンとしての開発が進められてきた。そのひとつ、「出羽遊心館」が開館したのは、平成6年10月。400坪の建物と、4,500坪の回遊式庭園を有する数奇屋造り(すきやづくり)の生涯学習施設である。建設に携わった職人は、建物1,800人、庭園2,000人と、多くの人の思いが込められている。
設計は、数奇屋造りで知られる中村昌生氏で、「施設全体をひとつの日本文化の香りのする園にしよう」ということで、建物に沿って庭を造った。建物には、「回遊路」を設けたため、どの部屋、どこの空間からも庭を眺めることができる。
正面玄関「透かし模様」の戸を開けると、「七宝繋ぎ(しっぽうつなぎ)」の天井に「木瓜(もっこう)型」の敷き瓦の土間床、松の廊下から96畳のホールへ、濡れ縁から竹林を望む。檜舞台のある研修室は「舟底天井」。3部屋続きの和室は桐の「遠山欄間(らんま)」で繋がり、下地窓(したじまど)は、満月と半月に見立てたもの。 奥の広間をめぐらす瓢箪(ひょうたん)型の「無双窓」は、風の通り道を作る。
どの部屋の照明にも和紙が張られ、やわらかな光を放つ間接照明となっている。
「出羽遊心館」の名称は、市民からの公募によるものである。「出羽」は、かつてこの地が出羽の国と称されていたこと、「遊心」は、利用者の自由な遊び心を誘う気持ちが込められている。
館の中で、この遊び心を見出すのは、この広間の襖「波と千鳥」「鞠と鈴」「花兎」である。ここに、隣接する「濡れ縁」からは、鳥海山、月山、最上川、酒田市街地を眺望することができる。
建物の周囲の「流れ」百七メートルは、「最上川」をイメージしたもので、茶室側を源流に見立て、中ほどが中流、ホール濡れ縁をもって河口とし、日本海に注ぐ風景となっている。
広間用の玄関から出ると、右手には「水琴窟(すいきんくつ)」があり、その先の「流れ」には、橋が架けてある。砂利敷きの「州浜(すはま)」の植栽には、薄(すすき)がなびく。ここには、湧き水もあり、設計の中村氏が「一番景色を求めたところ」という。
この「流れ」に沿う方を「北庭」として、「南庭」は、芝庭である。もともと小高く盛り上がっていた敷地をそのまま活かし、築山(つきやま)に見立てている。ここには、山桜の老木がある。これは、もともとこの場所にあった桜であり、庭の整地が始まった頃、ほとんど枯れかけていた。しかし、庭として整備されるにつれて、桜は息を吹き返し、再び蘇ったという逸話が伝えられている。今では、「南庭」に欠くことのできない大木として、優雅に存在している。和と洋の折衷(せっちゅう)がおもしろい。
「出羽遊心館」には、もうひとつ庭がある。
「徳の前」と三十六人衆の庵にちなんで命名された茶室「泉流庵」の庭、「露地(ろじ)」である。
「露地」は仏教用語で、「煩悩や俗塵を超越した理想郷」。世俗の汚れを捨て去って、浄土に入る境地の意味がある。茶室に入るための道すがら、景を眺め、濁りない清浄な「露(つゆ)」のごとき心情へ誘う空間となる。そのため、茶室にいたる飛び石のひとつひとつが役を負う。曲折をつけて、景を深めているのが、趣向であろう。「寄り付き」としても使われる部屋から、畳廊下に降りて、「露地」へと入る。くぐりを抜けると、内露地であり、「腰掛待合」、「枝折戸(しおりど)」から石づたいに、茶室へと続く。
この庭「露地」の主景は、「最上川」源流を模した滝組である。水の源が湧き出でる様は、神聖で、偉大な自然描写であり、深山幽谷の境地といえる。
さらに、茶室前の蹲(つくばい)、役石(やくいし)、灯籠(とうろう)、手水鉢(ちょうずばち)の組み方にも意匠を感じる。
「人作のわびはわびにあらず、天作なるわびは誠のわび」(片桐石州)とあるように、造園者の驕(おご)りなき作意が庭の品格となるのである。
「露地」は、木賊(とくさ)、葉蘭(はらん)、紅の実をつける珊瑚樹(さんごじゅ)、濃桃色の百日紅(さるすべり)の他、筒咲きの白侘助(わびすけ)、八重咲きの黒椿に彩られている。
ここを訪ねた秋のはじめ、昼下がりの庭に小さな鳥が羽を休めに来た。鶺鴒(せきれい)か四十雀(しじゅうから)か、伺ったところ、春には、鶯や鶸(ひわ)なども飛んで来るとか。小鳥たちにとっては、特別な居場所なのかもしれない。
「市中の隠」ともいわれる草庵、この「茶室」は、京都の職人による数奇屋造りである。中村氏は、数奇屋建築とは、「優しさを見て為した建築」と語る。深い軒は、陽をかざし、「影」を造る。西洋の建築のように象徴的で、日光を浴びるという姿ではないところに、日本建築の陰影があり、それが優しさ、ということなのだと思う。
「泉流庵」は、四畳台目(だいめ)の茶室である。にじり口から貴人畳(きにんだたみ)へ、台目構えの点前座を支える中柱は、皮付きの赤松で、横竹が入っている。点前座が「落天井(おちてんじょう)」で、他より低く設えてあるのは、点前をする亭主が客に対して謙虚に構えるためである。
「聚楽土(じゅらくど)」の壁が、「侘び」を演出している。給仕口(きゅうじぐち)に三角の板をはめ込んだのは、中村氏初の試みという。
こうした趣向を随所にみる「出羽遊心館」は、現在の日本の匠の技を凝らした建築として、後世に継がれていく平成の所産ともいうべき文化財産である。
最上川をテーマとした「流れ」の「北庭」、芝生の「南庭」、茶室「泉流庵」の庭「露地」と、3つの庭は、季節と共に移ろっていく。まもなく、冬支度が始まり、雪と強風から守るための樹木の雪吊り、植物の葉がやつれないようにと囲いの棚がめぐらされる。冬は、「流れ」が「枯山水(かれさんすい)」となる。石の山水は、どんな姿を見せてくれるのだろうか。その頃に、ぜひまた訪ねてみたい。 |
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出羽遊心館には、もうひとつ庭がある。徳の前の庵にちなんで
命名された茶室「泉流庵」の庭、「露地」である。 |
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出羽遊心館
一般に広く開放されており、
見学のための入館は無料。
使用料は各室ごとに定められている。
使用申し込みは、使用日の1年前から先着順。
使用時間◆9:00〜21:30
休館◆月曜(1月〜3月のみ、祝日の場合は翌日)
および年末年始(12月29日〜1月3日)
◆出羽遊心館
山形県酒田市飯森山3-17-86
Tel. 0234-31-3737 |
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酒田市の南部、かつて松林におおわれていた飯森山は、酒田の町を開いた三十六人衆が最初に庵(泉流庵)を結んだ地。そのゆかりの地に、平成6年10月1日に開館した「出羽遊心館」は、市民の文化向上のため、茶、花、香、邦楽、邦舞、和歌、俳句など、広く日本的な芸能を研修できるよう、酒田市によって企画された生涯学習施設である。設計は、数寄屋造りの建築で知られる中村昌生氏。建物には、山形県の金山杉はじめ、随所に日本各地の銘木が用いられ、典雅な和風建築となっている。回遊式の庭園には9,000本、450種類の樹木が植栽されている。平成6年照明普及賞、平成8年山形景観デザイン賞、平成10年公共建築100選を受賞。 |
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高橋まゆみ=取材・文 板垣洋介=写真 |