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 Home > バックナンバー > 「庄内庭園探訪」 > 菅家の庭園を訪ねて


月刊「SPOON」2003年9月号掲載

鶴岡市家中新町にある菅(すげ)家の邸宅は、西郷隆盛(南洲・なんしゅう)と深く親交を結んだ旧庄内藩士、菅実秀(さねひで)が酒井家より拝領したもの。菅実秀は全国を行脚して、『南洲翁遺訓』の頒布に努めたことでも知られています。初夏のツツジが美しい季節に、ご当主菅秀二夫人、節子さんに庭園をご案内していただきました。

:::::  その6 :::::
鶴岡市

樹齢三百五十年の老松は、
「吉事を待つ」といわれる
瑞祥木として、この家の
変遷を見守り続けてきた。

「とおりゃんせ とおりゃんせ ここはどこのほそ道じゃ 天神さまのほそ道じゃ」と、わらべうたに歌われる天神さまは、平安前期の右大臣で、学問の神さま、菅原道真公(845−903)のことである。
  菅家は、道真公の末裔。伺ったところ、九番目の子孫であるという。祖先・菅善左エ衛門実知は九州肥後の出身で、島原の乱の折、流浪の身となった。その後、酒井家に仕えるようになったのが庄内との縁である。
  現存の旧武家屋敷と庭園は、明冶4年(1871)、菅家八代当主実秀の頃、酒井家より拝領した。もとより、藩士の屋敷は、その石高に応じて配されるもので、かつては安藤半左エ門の揚げ屋敷であったものを、享保9年(1724)、加藤仙右エ門正継所有となり、天保10年(1839)、加藤元右エ門が建て替えた
後、酒井藩主の御用屋敷なった。
  幕末から明冶にかけて、菅実秀の数々の活躍が語り継がれている。中でも西郷隆盛との篤い交流は、特筆すべきであろう。
  庄内藩は、戊辰戦争で、官軍に最後まで激しく抵抗したにもかかわらず、降伏後、寛大な処遇を受けた。それは、庄内藩の「武士道」を重んじる立派な戦いぶりに敬服した新政府の最高指導者、西郷隆盛が、「敵となり味方となったのも運命の巡り合わせ、もはや兄弟同様」と、温情ある計らいをしたためであった。
  明冶2年、会津藩への転封を阻止するため、官軍参謀の黒田清隆に会見した菅は、そのとき初めて、敗戦後の措置が西郷の指示であったことを知る。西郷もまた庄内藩の俊英が菅であることを察していた。互いに心にかけるこの二人が実際に出会ったのは、それから2年後の明冶4年。西郷隆盛(南洲)45歳、菅実秀(臥牛・がぎゅう)42歳のことである。以後、肝胆相照(かんたんあいて)らす交際を続けた。
  明冶8年、菅は、7名の旧藩士と共に、鹿児島の西郷を訪ねた。そのとき揮毫(きごう)された西郷の書が、菅家の床の間に飾られている。大らかで闊達(かつたつ)なその書体は、書き手が並々ならぬ人物であったことを思わせる。
  明冶10年、西郷は、不平士族の反乱から西南戦争を決起した。菅はそのとき、庄内旧藩士の軽挙をいさめて参戦することはなかった。
  しかし、そのころ西郷は、庄内藩にあてた密書を、新庄から赴任していた鹿児島師範学校訓導(教師)、北条巻蔵(ほうじょうけんぞう)に託していた。結局、久留米で捕らえられた北条は、密書を飲みこむことで守りぬいた。このため、庄内藩に西郷の思惑(おもわく)が伝わることはなかった。今となっては、知る由もない真相である。
  明冶23年、旧庄内藩をあげて西郷の教えをまとめた『南洲翁遺訓(なんしゅうおういくん)』を発刊した。鹿児島市武(たけ)二丁目にある旧西郷屋敷の碑文には、「南洲翁の偉大さが全国に知れわたったのは、実に臥牛翁の人徳がその一翼を担ったものといえる」とある。
  菅家庭園は、江戸時代中期の様式で作庭された地泉廻遊式(ちせんかいゆうしき)庭園である。明冶4年、酒井公から拝領後、当主菅実秀が、京都の庭師を依頼し、整備した。その折、酒井藩の先封地である三河の国から、松、躑躅(つつじ)、菖蒲、孟宗竹などを移植している。
  樹齢350年の老松(おいまつ)は、「吉事を待つ(松)」といわれる瑞祥木(ずいしょうぼく)として、この家の変遷を見守り続けてきた。この松を中心に、「厳寒三友」といわれる松、竹、梅の縁起木が見事に配植されていることが、この庭の完成度を高めている。
  縁先から飛石を伝って、庭へと降りていくと、そこここにある「玉仕立て」の躑躅の華やぎがある。白の分量が多いことが、いっそうの気品を添えている。
  池泉の護岸石組(ごがんいわぐみ)も工夫が凝らされ、流れに沿って、水景を楽しむことができる。中でも、池泉に奥行きを感じさせる岬が見所であろう。紫のかきつばた、雪見灯篭(ゆきみどうろう)もまた、この池泉の趣を深くしている。灯篭は、ほかにも春日灯篭、鉢かつぎのような笠の灯篭がある。4月半ば、この池泉に姿を映す枝垂桜(しだれざくら)のお花見もまた一興ではないだろうか。
  当主夫人の節子さんは、20歳で嫁いで以来、菅家の歴史を学び、正確に伝えるための勉強を怠らない、謙虚な美しい方である。花好きの御両親の元で育った節子さんは、華道教授でもあり、どの部屋にも花を絶やすことがない。菅家庭園の公開日
は、4月から11月までの月・火・金曜日と限られているが、ここを訪ねる人は、節子さん自らのおもてなしにあずかることができる。
  庭園の花々に寄せる思いも温かい。秋にはサンゴ色の実をつける珊瑚樹(さんごじゅ)。この枝が剪定(せんてい)作業で刈り取られてしまった。節子さんは、木々を拾い集めて、花入れに挿した。
  珊瑚樹とともに、南方の植物である隠れ蓑が大きく育っているのも珍しいとか。四季折々、時分を告げるように咲きそろうこの庭の草木は、「けなげなほどにたくましい」。それは、この強風の地にありながら、雪囲いも雪吊りもしない。老松でさえ、腹巻といって、幹の部分を藁で覆う程度であるとか。それでも「厳しい冬に耐え抜いて、春またムクムクと芽吹きだす」と語る節子さんの言葉には、日々この庭と向きあって暮らす、親のような慈愛がこめられていた。
  節子さんは、こう付けたした。
「冬中、どんな雪にも寒さにも負けないのだけれど、11月に降る初雪の重さには耐えられないで折れるの。まだ心の準備ができてないから」。
  築山の一角、鳥居をくぐったところには、明冶35年(1897)、菅原道真公の千年祭の折に建立された「菅公廟(かんこうびょう)」があり、中には、梅を手にした道真公の木造が安置されている。また、菅家の由来が刻まれている「菅公千年祭碑」は、酒井忠篤(ただずみ)公の筆によるもの。
  それにしても、城下町鶴岡の奇祭「天神祭り」もまた菅原道真公ゆかりの行事である。「化け物祭り」の異名を持つこのお祭りは、「道真公が大宰府に配流(はいる)されたのを悲しみ、別れを惜しむ人たちが、時の権力をはばかって、顔を隠して見送った」という言い伝えによるものである。襦袢(じゅばん)姿に編み笠をかぶり、手ぬぐいで顔を隠した化け物が、町で出会う人々に無言で酒をふるまう。3年間、その正体がわからず、天神様にお参りができれば、願いが叶うという。なんともロマンのあるお祭りである。
  苔むしたこの庭園を巡りながら、いつしか私は、そんな歴史絵巻の展開を楽しんでいた。
  この庭園は、一朝一夕ではない、時の重なりが培った格式と優雅さを備えている。そして何よりも、ストーリーある庭なのである。
この庭園は、時の重なりが培った格式と優雅さを備えている。
そして何よりも、ストーリーある庭なのである。
 
旧武家屋敷 菅家庭園

4月〜11月の月・火・金曜日には、
見学希望者は庭園を拝見できる。
午前10時〜午後3時の
時間内での予約が必要。
団体不可・5名以内。

問い合わせ
菅家庭園保存協力会
(鶴岡市家中新町2-21)
電話0235-25-0925

 鶴岡市家中新町の菅家は、旧庄内藩士の武家屋敷の品格ある佇まいを今に伝えている。もとは、庄内藩士、安藤半左ェ門の揚げ屋敷で、享保9年、加藤仙右ェ門正継が拝領、天保10年、加藤元右ェ門が建て直し、後に庄内藩主酒井家の御用屋敷となる。明治4年11月、菅実秀が酒井家より拝領。以前よりあった庭園に、京都から庭師を呼び、酒井藩の先封地、三河の国から、松、ツツジ、菖蒲、孟宗竹などを移植。明治35年5月、菅原道真公の千年祭を記念して、「菅公廟」を建設。酒井忠篤公揮毫の「菅公千年祭碑」には、菅家の由来が刻まれている。
 池泉の周囲を回遊できる庭園は、江戸時代中期の作庭様式を今に伝える貴重なもの。4月中旬にはしだれ桜、5月中旬には白ツツジ、6月初旬には色ツツジ、11月中旬には紅葉と敷松葉が美しい。
 
高橋まゆみ=取材・文 板垣洋介=写真


■「庄内庭園探訪」バックナンバー


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2003年8月号[酒田市]
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2003年11月号[酒田市]
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