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 Home > バックナンバー > 「庄内庭園探訪」 > 風間家旧別邸を訪ねて


月刊「SPOON」2003年7月号掲載

鶴岡市馬場町の国指定重要文化財・風間家旧宅「丙申堂」の道路を隔てたすぐ近く、風間家旧別邸「無量光苑 釈迦堂」は昨年2月の国登録有形文化財指定を機に、今年4月10日から一般公開されました。初夏の日陽しを浴びて、新緑が輝く庭園を、純白のツツジの花が咲き誇る5月中旬にお訪ねしました。

:::::  その4 :::::
鶴岡市

「盛りなる花曼荼羅の躑躅かな」。
高浜虚子が詠んだのは
きっと、春から夏を繋ぐ、
こんな光景だったに違いない。

 躑躅(つつじ)が咲き終わると、季節は衣更えを迎える。躑躅は、春から夏を繋(つな)ぐ役目を負うた花なのだと思う。
  直径が3メートルにも及ぶ「玉仕立て」の躑躅は、白、薄桃、赤紫とそれぞれの色をまとって咲きそろっていた。「盛りなる花曼荼羅(はなまんだら)の躑躅かな」と高浜虚子が詠んだのは、きっとこんな光景だったに違いない。
  その華やかさを取り囲むようにある松やタブなどの常緑樹を主木として、桜や椿が中木として配植されている。庭の安定感は、この躑躅の群れが下木として全体を引き立たせ、支えているためである。 
  鶴岡、風間家旧別邸の庭園を訪ねたその日の夕刻、出迎えてくれたのは、現在もこの敷地内にお住まいの九代目当主、風間眞一氏と富士子夫人である。和やかに話される当主と、その傍らで微笑む美しい夫人。それは、この庭を借景にした水彩画の一枚のようであった。
  風間家の創業は、安永8年(1779)。鶴岡城下、五日町で、庄内藩の御用商人として、呉服や木綿の反物といった太物(ふともの)を扱っていた。幕末には鶴岡一の豪商となり、その後、明治時代には貸金業に転じ、庄内地方では酒田の本間家に次ぐ大地主となった。代々の当主は「知恩報徳」を家訓として、児童福祉や慈善事業、女子教育の支援に尽力。現在も荘内育英会事業などに参画している。
  明治29年、七代幸右衛門が建築した風間家旧宅「丙申堂(へいしんどう)」は、国登録有形文化財指定を機に、平成12年から一般公開。現在は国指定重要文化財となっている。明治43年に造られた風間家別邸は、優れた構造と意匠を凝らした建築技術が評価され、平成14年、国登録有形文化財に指定。この四月から、庭園とともに公開された。別邸は、昭和18年頃まで、来賓の接待や社交場として使われていた。昭和3年の朝香宮(あさかのみや)、昭和19年頃の石原莞爾(かんじ)など、数多くの賓客の来訪があった。
  風間家は、代々浄土真宗への信仰が篤く、庭園に面した上座敷に、黄檗木庵(おうばくもくあん)書「無量光」の額が掛けられている。「無量光」は、無量寿経に説かれた阿弥陀如来の光明十二種のひとつ。光明(智慧)は無量で、その衆生(しゅじょう)に与える利益(りやく)は、三世(さんぜ)にわたって限りないの意がある。さらに現当主は、床の間に聖徳太子十七条憲法の書を掲げ、御石仏釈迦像を安置したことから、風間家旧別邸「無量光苑 釈迦堂」と命名した。
  庭園からの柔らかな陽の下で伺った話に心魅かれた。昭和19年、戦争をはさんで疎開した綴錦織(つづれにしきおり)の大家、遠藤虚籟(きょらい)と弟子の和田秋野の二人が、昭和26年まで、この別邸を居として制作していたのだという。
  虚籟は、明治23年、西田川郡大宝寺村、現在の鶴岡市出身の美術工芸家である。はじめ洋画家を志し、17歳で上京、太平洋画会で中村不折に師事。その後、大正11年、京都の大久保寿麿から技法を学び、綴錦織の作家となった。
  貞明(ていめい)皇后に献上された「如意輪(にょいりん)観世音菩薩」や、ニューヨーク国連本部に納められた「曼荼羅中尊」は、風間家別邸で制作された作品である。この穏やかな庭園を眺めながら過ごした7年間、虚籟がどれほど充実した制作活動を展開することができたことか。その恩恵は計り知れない。
  当主は、その頃の思い出として、「二人とも、中指の爪が櫛のようにギザギザになっていた」と話してくれた。綴錦織は、染色した絹糸を経(たて)糸にして、「下絵」に合わせて、鋸状の7本の櫛型にした「中指の爪」で、ぼかしたり、掻き寄せたり、さらに「筋立て櫛」や「筬(おさ)」で操作し、緯(よこ)糸を覆い、模様を描きだす。その技法は、気が遠くなるような手間のかかる作業である。中国宋時代以前を起源とする綴錦織は、奈良時代に日本に伝来した。江戸時代に隆盛し、明治には海外に輸出されるまでになったが、現在、この技術を伝承する者は、ほとんどいない。
  虚籟と秋野は、その後結婚し、千葉県館山に工房「虚藾洞」を構える。昭和38年、虚籟が他界。秋野は、千葉県無形文化財となり、95歳の今もなお制作を続けている。「爪が命」「この仕事は無欲にならんと出来ませんよ」(あさひふれんど千葉)と語る秋野の姿勢に、ひたむきに生きてきた一筋の道が重なる。
「庭に出ましょうか」。夫人のお誘いに従って、芝生の地面に降りた。正面の築山(つきやま)の所までいくと、かつて池であったくぼみがあり、一面に黄色い小さな花が咲いている。花と同じ大きさの丸みを帯びた緑の葉、それはまるで、珠玉のビーズのように愛らしい。キンポウゲ科の植物ではないかと思われる。
  釈迦堂に寄り添うようにして立つ高木に咲いた淡紅色の気高く可憐な五弁の花。「それは、花梨(かりん)の花です」と教えていただいた。秋には黄色い実をつける。幼い頃、「のどにいいから」とよく口にした砂糖漬けのシャリシャリとした食感が蘇ってくる。花もまた甘い芳香を漂よわせていた。
  もみじ林まで行くと、薄緑の葉が陽を遮るためか さわやかな風がそよいで来る。薄く重なり合う葉は、レースのカーテンのように必要な陽だけを地に送る。注ぐ光は、葉のページェントを演出するに充分である。
  庭の両側には、山桜、枝垂(しだれ)桜、八重桜が春を装うかのように次々と咲く。五月半ばというのに、咲き残りの八重桜があった。「この桜はね、外からは見えないの」。夫人は、残花を慈しむように見上げた。普段は、あまり人が寄らない庭の裏側に回ると、そこここに蕗(ふき)が自生している。
  日陰の片隅で、濃紫のひと群れに出会った。「都忘れ」ではないか。承久の乱に敗れ、佐渡に流された順徳院がこの花を見て、「都を忘れられる」と慰められた花である。
  子どもたちが高い塀越しに目にして「風間さんの大きいすすき」と呼ぶのは、お盆にかかせない「暖竹(だんちく)」。
  眞一氏の母、梅子さんは酒田の鐙谷(あぶみや)家から嫁いで来た。父親が台湾銀行に勤めていたため、台北で生まれ育った。少女時代の思い出とともに、改めてこの庭に植えた低木は「ぽぽの木」と呼ばれ、臙脂(えんじ)色のブローチのような実をつけていたという。
  冬、雪吊(ゆきつ)りの木々の上に積もる雪は「波のようです」と、草木眠る頃さえ、情緒ある庭なのである。
  表門、中門、北門、土蔵、板塀と歴史を物語る佇まいの中にあり、四季折々に様々な表情をみせるこの庭で、今を盛りに咲く躑躅。その花言葉は「節制」である。どんな境遇でも力強く美しく咲く花の逞しさに、「つらい時、優雅にやせがまんできる人は素敵だと思うよ」。いつか聞いた言葉が、私の胸をかすめた。
綴錦織の大家、遠藤虚籟と弟子の和田秋野は、昭和19年から
7年間、この別邸を居として制作していたのだという。
 
風間家旧別邸
「無量光苑 釈迦堂」

所在地鶴岡市泉町6-20
    鶴岡幼稚園隣
開館期間4/10〜11/30
     午前9時30分〜午後4時
入場料大人200円、小中学生100円
月曜休館(祝祭日の場合は翌日)


風間家旧宅「丙申堂」
所在地鶴岡市馬場町1-17
開館期間4/10〜11/30
     午前9時30分〜午後4時
入場料大人300円、小中学生150円
月曜休館(祝祭日の場合は翌日)
※共通入場券もあり
 大人400円、小中学生200円

問い合わせはいずれも
風間史料会/鶴岡市馬場町1-17
0235-22-0015
 風間家旧別邸「無量光苑 釈迦堂」は、明治43年に風間家別邸として建築され、昭和18年頃まで来賓の接待などに使用されていた。代々浄土真宗に信仰が篤く、建築時より上座敷に黄檗木庵書「無量光」の額を掲げてあったことに因み、八代当主、幸右衛門が建物と庭園を含めて「無量光苑」と名づけた。さらに、大正12年に常盤大定師より寄贈された御石仏釈迦像を現当主が床の間に安置して、「無量光苑 釈迦堂」と命名。平成14年2月、国登録有形文化財指定。平成15年3月、追加して、関連の表門、中門、北門、土蔵、板塀も登録文化財に答申された。今年4月10日から一般公開。
 国指定重要文化財、風間家旧宅「丙申堂」は七代当主、幸右衛門が明治29年、居住と店舗として建築したもの。
高橋まゆみ=取材・文 板垣洋介=写真


■「庄内庭園探訪」バックナンバー


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