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 Home > バックナンバー > 「庄内庭園探訪」 > 本間家旧本邸を訪ねて


月刊「SPOON」2003年5月号掲載

酒田の本間家三代当主光丘翁が建築し、庄内藩主へ献上した旧本邸の庭園には、
全国の銘石がさりげなく多数配されており、その石組や植栽の工夫とともに、
訪れる人を驚かせています。庄内の名園を探訪するシリーズ第2回は、
梅の花がこぼれるばかりに咲き始めた本間家旧本邸の庭園をお訪ねしました。

:::::  その2 :::::
酒田市

 

初冬の頃、咲く桜は、どれほど健気で、優美なことか。
その花びらは、雪に散らされてしまうのだろうか。

 
 茶人は、春さきがけの梅を、つぼみのうちに活けて愉しむという。
  4月はじめ、本間家旧本邸の庭園では、咲き初めの紅梅が、これから迎える暖かな季節を彷彿とさせた。この木を見上げている私の胸を「東風(こち)吹かば匂ひおこせよ梅の花 あるじなしとて春を忘るな」の古歌が過ぎった。菅原道真公が太宰府へと流される時に詠んだ歌である。この梅には、後に道真公の元まで飛んできたという飛梅の伝説がある。それは、この庭の主であった三代・本間光丘(みつおか)その人を思わせた。
  本間家旧本邸は、1768年(明和5年)、幕府巡検使一行の本陣宿として、庄内藩主・酒井家に献上したもので、その後拝領し、本間家の邸宅となった。建物は、旗本二千石の格式を備えた長屋門構えの武家屋敷で、その奥は商家造りと、2つの建築様式が一体となった、全国でも例を見ない貴重な建築で、庭園も同じくこの時に造られたものである。 本間家繁栄の基礎を築いたとされる光丘は、その財をもって、地域の発展や社会事業に貢献した公益の人でもあった
。酒田西浜の植林事業、貧しい人たちへの「町方(まちかた)困窮手当」、冬に仕事がなくなる港湾労働者への「冬貸(ふゆがし)助力銭」、また、防火に対しても「酒田火防用金」の他、被災者への低利の融資など、援助を惜しまなかった。文芸への造詣も深く、玄武坊より俳諧を学び、其山(きざん)と号する俳人であり、教育への願いも篤く、光丘(こうきゅう)、光道以来の膨大な蔵書が「光丘 文庫」の基となった。
  一方、自身の生活は、質素倹約を旨として、奢りなき生涯を送った。この資質が、当代に至るまで、代々本間家に受け継がれていることは、言うまでもない。今も変わらず、本間家の人々が、「本間さま」と敬意をもって親しまれている所以である。
  今回は、本間家当主の長女、本間万紀子さんと、藤島町の株式会社佐藤造園の会長、佐藤和三郎さんのお話を伺うことができた。
  縁先に座り、庭園の前に佇むと、包み込まれるような穏やかな気持ちになる。庭の中央に組まれた石は、三尊石(さんぞんせき)という組み方で、釈迦を中心に菩薩を見立てたもの。この菩薩が、普賢(ふげん)、文殊(もんじゅ)かと興味深い。
  手水(ちょうず)鉢は朝日村熊出(くまいで)の石で、雪隠(せっちん)の後の清めの水として配されたもの。 蹲(つくばい)よりも高さのある円柱形は、円星宿(えんせいじゅく)と呼ばれる。その周りには、蟄石(かがみいし)(佐渡の赤玉石)がある。これは、使った水が跳ね返らないようにと置かれた石であるため、水返り石ともいう。その他、台石、清浄石(しょうじょうせき)(北海道神居古譚(かもいこたん)の石)、水汲み石(四国伊予の青石)、丸小石(赤川の石)とで、形を成している。それぞれ役目を持った石であり、赤石、青石と色彩のある組石は、まるでオブジェを見るようである。その後方に立つ袖垣には、女萩(めはぎ)が丁寧に編みこまれ、石組を引き立てている。
  灯り採りの春日灯篭は、岡山県万成(まんなり)産の御影石(みかげいし)で、微かな薄紅色である。灯篭の上から宝珠(ほうしゅ)、うけ花、その下の笠は、わらび手で、蝋燭を立てた火窓を中台が支える節の部分は、不均等の2分割。基壇の格狭間(こうざま)も、かえり花も、くっきりと刻まれていて、少しの風化も感じさせない。
  縁先からの飛び石のひとつには、伽藍石(がらんせき)(伽藍の土台石)が配されていて、遊び心も充分な演出といえる。 この庭園は、建物の南側にあり、東側の庭門が入り口となっている。入ってすぐの左方に、一見、無造作に石が積まれている。
  これは、みだれ積みという技法を凝らしたもので、吹浦海岸の石。その上の守護石は鳥海石(ちょうかいせき)と、この景色には、鳥海山を頂く自然の妙を感じさせる。無秩序に見えて、実は、綿密な計画とバランスによって構成されたこの石組は、ぜひとも足を止めたい見所である。
  それにしても、至るところに配した全国各地の銘石は、どのようにして集められ、運ばれたのであろうか。
  かつて、酒田湊が西廻り航路での交易で栄えたころ、米を積んだ北前船の帰り荷であり、石は、船底の安定を保つために積まれた。これを綿積石(わたつみいし)といい、海難を避ける海神石でもあった。港に荷揚げした石は、千人引きという大きな橇(そり)に乗せて、雪の上を目的地まで運んだ。庭造りは、港湾労働者の冬期失業対策事業でもあった。
  こうした趣向を凝らした石組を引き立てているのが、樹木の数々である。松、ヒバ、柊(ひいらぎ)、白樫(しらかし)、伽羅(きゃら)、モチの木、隠れ蓑(みの)の木、サツキ、薮柑子(やぶこうじ)と常緑樹が大半で、一年を通して緑の絶えることがなく、次々と咲く花がその彩りを競いあうことはない。主の公平、平穏な人格の合わせ鏡のような庭である。
  特に珍しいとされるのは、四季咲きの桜で、4月と11月の二度、花開くのだという。初冬の頃、枯れ果てて朽ちていく草花の中に咲く桜は、どれほど健気で、優美なことか。その花びらは、雪に散らされてしまうのだろうか。
  西側にあるタブの木は、葉が肉厚で水気が多いので、燃えにくいことから、火伏せの木として植えられたもので、酒田市の木でもある。光丘は、防火に対して、土塀と土蔵で母屋を囲むといった備えに万全を期した。タブの木もまた、こうした配慮のひとつであったのだろう。昭和51年の酒田大火の折も類焼を免れたことから、防災関係者を驚かせた。
  取材に伺った4月3日は、月遅れの雛の節句。本間家の雛壇には、火伏せの僧侶、おぜんじ様が飾られていた。万紀子さんは、幼い頃から、くりかえし「火」と「陽」の尊さを教えられたという。風の通り道となる酒田では、小さな「火事」も大火を招くこと、女の子はやがて「家事」に就くこと、そして何よりも雪国に兆す「陽」がどれほどありがたいものであるか。
  陽が少し傾き始めた頃、万紀子さんと共に庭に出た。「光丘さんが造られてから、自宅としてずっと住んできたのだけれど、昭和20年には暁(あかつき)部隊に接収されることになって、その時は、最後のお茶会をささやかに開いたと聞いています。戦後は、公民館として、たくさんの人の交流の場となりました。結婚式の会場ともなりました。この庭の木も石もみんな、この家の歴史を見続けてきたんです。だから、恥ずかしいことはできない、と思うのですよ」。万紀子さんの言葉は、その日のエピローグのように響いた。

 不動の石も、年々その様を変えていく樹木も、こうした人の思いに守られながら生き続けているのである。

緑の中に次々と咲く花がその彩りを競いあうことはない。
主の公平、平穏な人格の合わせ鏡のような庭である。
 
本間家旧本邸

山形県酒田市二番町12-13
旧本邸電話:0234-22-3562
別館「お店」:電話0234-23-0809
【開館時間】
3月〜10月/9:30〜16:30
11月〜2月/9:30〜16:00
【休邸日】
年末年始および展示替え日。
【入館料】
「お店」との共通入館料・大人一般700円

本間家旧本邸は、本間家三代当主光丘翁が、幕府巡検使一行の本陣宿として、明和5年(1768)に新築し、庄内藩主酒井家に献上したもので、その後拝領し、昭和20年春まで、長く本間家本邸として使用されていた。建物は、母屋桁行33.6メートル、梁間16.5メートルの棧瓦平屋書院造り。内部は建坪200坪、部屋数は23部屋。旗本二千石の格式を備えた長屋門構えの武家屋敷で、奥は商家造りとなっている。本間家では奥の商家造りを住まいとしていた。このように二つの建築様式が一体となっている邸宅は珍しく、全国にも例を見ない。山形県有形文化財(建造物)。年間を通して、本間家伝来の品々を中心に企画展示が催されている。向かいの別館「お店」も併せて観覧できる。
 
高橋まゆみ=取材・文 板垣洋介=写真
取材・撮影協力=本立信成株式会社、藤島町・佐藤造園


■「庄内庭園探訪」バックナンバー


2003年4月号[三川町]
アトク先生の館を訪ねて
2003年5月号[酒田市]
本間家旧本邸を訪ねて
2003年6月号[遊佐町]
蕨岡の山本坊を訪ねて
2003年7月号[鶴岡市]
風間家旧別邸を訪ねて
2003年8月号[酒田市]
土門拳記念館を訪ねて
2003年9月号[鶴岡市]
菅家の庭園を訪ねて
2003年10月号[羽黒町]
羽黒町の玉川寺庭園を訪ねて
2003年11月号[酒田市]
出羽遊心館の庭園を訪ねて
2003年12月号[酒田市]
浜田の清亀園を訪ねて
2004年1月号[鶴岡市]
鶴岡の酒井氏庭園を訪ねて
2004年2月号[酒田市]
浜畑の寄暢亭を訪ねて
2004年3月号[酒田市]
本間美術館の鶴舞園を訪ねて

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