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 Home > バックナンバー > 「庄内庭園探訪」 > アトク先生の館を訪ねて


月刊「SPOON」2003年4月号掲載

庄内の各地域には、名園と呼ぶにふさわしい、すばらしい庭園が、四季折々に美しい表情を見せながら、大切に現在に伝えられています。自然の息吹きを感じながら、庄内の文化の薫りにふれる休日の散策のひととき。
シリーズ第1回は、三川町文化交流館「アトク先生の館」をお訪ねしました。

:::::  その1 :::::
三川町

庭園の中央にさしかかった時、
白い鳥が池の淵から飛び立った。
その軌跡は、優雅で、
気高い舞を思わせた。
 三川町三本木の旧阿部邸を訪ねた。その日、春浅い庭園の冬枯れの木々の風景の中で、ふきのとうの黄緑は、たしかな春の色として存在していた。新緑の頃であったならば、こんなにも、この薄緑を恋しく感じることはなかったかもしれない。
  ここは、三川町文化交流館「アトク先生の館」として、平成11年8月に開館した。江戸初期の元和年間(1615〜24)、現在の櫛引町にあたる宝谷村から入植した阿部彦右衛門を祖先とする11代、阿部徳三郎所有の庭園と邸宅を、町が買いあげたものである。館の異名である「アトク先生の館」は公募によるもので、生前の阿部徳三郎氏が、親しみを込めて「アトク先生」と呼ばれていたことから決まったという。
  庭園の中央にさしかかった時、白い鳥が池の淵から飛び立った。何という鳥だったのだろうか。水際の木の辺りで、こちらを振り返り、空へと姿を消した。早春の頃、人里近くに訪れるという春禽(しゅんきん)のその軌跡は、優雅で、気高い舞を思わせた。
  この庭園は、個人所有としては、庄内有数のものとして知られている。造園は、およそ300年前、江戸時代元禄期(1688〜1704)の頃で、1千両の巨額を投じて築造された名園である。池水は、西側の堰から東側の堰に回遊させる池泉(ちせん)回遊式であったが、今は溜池となっている。この池は、初夏になると白い睡蓮に覆われる。池の周りには五葉松、欅、桜といった大木と、見事に刈り込まれた躑躅が配され、季節の移ろいを楽しむことができる。芽吹き始めた桜の木を見上げながら、「桜が日本中どこにでも植えられているのは、花の咲き様に、1年の天候を伺うため」という桜守りの話を思い出した。
  趣きある組石の中にある青い坪石が、目を引く。これは、北前船の帰り荷として、京都から運ばれたもので、かつては、朝夕、塩水で磨きあげられ、鮮やかに光沢を湛えていた。その頃は、二人の年雇いが、怠ることなく、この庭の手入れにあたっていた。この風格ある庭園の奥に、小高く見える築山の下に、実は、名石や珍石が埋められているという。それは、500坪のこの名園を快く思わなかった藩主の命により、300坪に縮小した際にできたものなのである。
  この庭の新たな見どころは、ユキモチソウ、ザゼンソウ、ヒトリシズカといった山野草で、5月には「春の野草を観る会」が企画される。
  現在は町民交流の場として開放されている「アトク先生の館」だが、その建物は、昭和3年(1928)に完成した近代和風建築である。設計は、皇室関係の建築を多く手がけた宮島佐一郎氏によるものである。宮島氏は、自身が関東大震災に被災した経験から、基礎に松杭を打ち、柱や梁には松山産の檜(ひのき)を使って、総檜造り銅板葺きの平屋建てにした。居室の一部には秋田杉や薩摩杉が使われているほか、障子板は楓玉目、筍目など、木目を活かした装飾が施されている。また、北側の廊下は、檜の一枚板、東側の廊下は、末広張りといわれる扇形に板を配置している。
  毎年3月には、大広間に阿部家のお雛さまが展示される。昭和初期の古今雛とともに飾られた趣向人形は、徳三郎氏の母、せきさん手作りの品と聞き、目をみはった。歴史物語をひもときながら、ひとつひとつ丹念にこしらえた人形には、どんな思いが込められているのだろうか。
  この家の主、阿部徳三郎氏は、地元の中学から東京の成城高校、京都帝国大学、東京帝国大学大学院を卒業後、ドイツに留学した社会学専攻の学者で、終戦後は、山形大学や酒田短期大学などで、教鞭を執った。
  昭和17年(1942)、かねてより婚約中であったユキ子さんと結婚した。ご夫妻の日常会話は、英語で交わされていたと聞き、ぜひともお目にかかりたいと思った。ユキ子さんは、90歳という年齢に驚くほど、聡明で、お元気な女性だった。現在も、ちぎり絵の師として指導にあたるばかりでなく、ゲートボールに参加するなど、健康に努めている方ならではのお姿である。
  ユキ子さんは東京府立第一高等女学校を卒業後、阿部家に嫁がれるまで、「父の手伝いをしていました」と語る。その父とは、英文学者として名高い平田禿木(とくぼく)である。日本における英文学の先駆者、禿木は、数々の訳書を手がけたほか、明治期に来日したフェノロサのために、能楽の書を翻訳するなど、厚い親交があった。また、「文学界」の同人として、随筆や評論を発表、樋口一葉などとの交流もあった。「父の口述筆記だとか、雑誌に載せる原文を書き写したりしたもんです」。ユキ子さんのお話は、聞き手の私を夢中にさせた。
  なるほど、阿部家のご夫妻は、日本でも有数の知識人であったのだ。そして、ユキ子さんが、この地で暮らすご苦労は大変なものだったのではないか、と想像した。しかし、ユキ子さんの口から、つらい思い出を聞くことはなかった。ただひとつ、「言葉では苦労しましたの。ばばはん(義母のせきさん)のお見舞いにいらっしゃるおばさんがたがしゃべる言葉が、私にはとんとわかりませんでしたものの」と語るユキ子さんの言葉は、すっかり庄内弁である。それは、この地の人として受け入れられ、幸せな家庭生活をたどった人の、優しい日々を垣間見たようであった。
  昭和40年(1965)3月5日、米国駐日大使、ライシャワー夫妻が、農地解放後の農村視察のために当地を来訪、この館を訪れた。その日は、思わぬ春の雪に見舞われ、国道から歩いて来るお二人のため、藁で雪靴をあつらえ、届けたところ、大変珍しがられたという。その姿の記念写真が残っている。ユキ子さんは、その日、家で飼育していた牛の乳で、牛乳豆腐を作ってさしあげた。この日の印象を、「ライシャワーさんはとても親しみ深い方でした」と記憶している。はからずも、取材の日は3月5日で、ライシャワーご夫妻の訪問から38年目のその日にあたっていた。嬉しい偶然の重なりである。
  その後も、この館には、フランスやギリシャなど、海外からの賓客が訪れたり、ホームステイの留学生たちが滞在したり、さながら国際交流の館のようであったという。
  最後にユキ子さんは、父、平田禿木の弟子で、戦前、この館を訪れた小説家、森田草平の思い出を語った。「森田さんから、この家の庭は北向きだから、贅沢だって言われました。北向きの庭は、いつも陽の動きを感じることができるから、贅沢だということを、森田さんから教えられて、私は初めて知りました」。
「アトク先生の館」の庭園は、まもなく花と新緑の美しい季節を迎える。

町の人々の交流の館として引き継がれた、この邸宅には、
来る人を温かく包む雰囲気がある。
 

三川町文化交流館
アトク先生の館

三川町大字押切新田字三本木118
電話&Fax.0235-66-5040
【開館時間】
午前9:00〜午後7:00
【休館日】
毎週月曜、12月29日〜1月3日

平成11年開館。邸宅は三川町三本木の旧家、阿部家が昭和初期に建築したもので、設計は宮島佐一郎氏。関東大震災で被災し、大正期に庄内に疎開していた宮島氏は、基礎に松杭を打ち、柱や梁に松山産の檜を使った耐震建築を心がけたという。総檜造りの平屋建て、銅板葺き、述べ床面積は約340平方メートル。愛称は、館の主、阿部徳三郎氏(1907〜1994)が生前、「アトク先生」と親しまれていたことから、公募により命名。
 池泉廻遊式の庭園は、江戸時代元禄期に、一千両の巨費を投じて各地から名木、珍石を集めて築造したといわれ、その規模の豊かさと、樹木の刈り込み、石組の意匠により、庄内屈指の名園として知られている。
 邸宅と庭園の入場は無料。大広間(30畳)、談話室(10畳)、交流室(20畳)、展示室などの利用申し込みは、三川町文化交流館まで。
 
高橋まゆみ=取材・文 板垣洋介=写真 取材協力=三川町公民館


■「庄内庭園探訪」バックナンバー


2003年4月号[三川町]
アトク先生の館を訪ねて
2003年5月号[酒田市]
本間家旧本邸を訪ねて
2003年6月号[遊佐町]
蕨岡の山本坊を訪ねて
2003年7月号[鶴岡市]
風間家旧別邸を訪ねて
2003年8月号[酒田市]
土門拳記念館を訪ねて
2003年9月号[鶴岡市]
菅家の庭園を訪ねて
2003年10月号[羽黒町]
羽黒町の玉川寺庭園を訪ねて
2003年11月号[酒田市]
出羽遊心館の庭園を訪ねて
2003年12月号[酒田市]
浜田の清亀園を訪ねて
2004年1月号[鶴岡市]
鶴岡の酒井氏庭園を訪ねて
2004年2月号[酒田市]
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2004年3月号[酒田市]
本間美術館の鶴舞園を訪ねて

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